2010年10月18日月曜日

ウィーンでの交流と日本文化

先日ウィーンで会った現地の女子大生からシェーンブルン宮殿で撮った写真が
母親のメールアドレス宛に送られてきました.

出会ってから1週間以上は過ぎていたのですが,メールが日本語だったので,
おそらく書くのに苦労したのでしょう.メールの終わりには「敬具」って書いてありましたし.



今見ると私よりも身長が高い!向かって一番右は母親です(それはわかりますよね).

彼女たちにどうして日本に興味を持ったのか?尋ねたところ,やはりマンガとドラマ,
そしてジャニーズだそうです(笑).最初ヤニーズというので何のことかさっぱりでしたが,
嵐とかユニット名が出てきたので,ジャニーズだとわかりました.Jaは「ヤ」と読むんですね.
欧州の女性でもジャニーズが好きとは意外でしたが,若い女性の好みは万国共通でしょうか.

マンガでお気に入りなのはNARUTOだそうです.このNARUTOの人気はイタリアでもそうで,
Terna研のポスドクの女性も壁紙にしてたり,トラムの中で単行本を読んでいる若者や,
はたまた電車で単行本を山積みにして読んでる男の子を見かけたこともあります.

テレビでも日本のアニメをやっていない日はありません.ONE PIECEやドラゴンボール
古いところでは釣りキチ三平,宇宙戦艦ヤマト,そしてクリィミーマミも知られています.
フィギュアショップも珍しくなく,ガンダム(イタリア語ではグンダム)のモビルスーツが
所狭しと並べられているお店もあります.なので,イタリアの幅広い世代で日本のアニメが通じ,
そこから会話が盛り上がることが多々あります.イタリアで絶対ウケる鉄板ネタは,
北斗の拳のケンシロウ.北斗神拳をマネすると必ずウケます(統計的には3/3ですが).

話がだいぶ横道にそれてしまいましたが,私もお礼と彼女の勉強も兼ねて
日本語と英語の両方を併記したメールを彼女に送ってみました.
漢字はまったく読めないと話していたので,全部ひらがなで書きましたが,読めたでしょうかね.
残念ながら今のところ返信はありませんが,お礼の気持ちが伝わっていれば嬉しいです.

2010年10月17日日曜日

制度進化の論文出版

私と橋本さんの共著である英語論文がこのほどEvolutionary and Institutional Economics Review (EIER)より出版されました.書誌情報は以下の通りです.

Shigeto Kobayashi and Takashi Hashimoto (2010) "Analysis of Institutional Evolution in Circuit Breakers Using the Concepts of Replicator and Interactor", Evolutionary and Institutional Economics Review (EIER), Vol.7, No.1, pp.101-112.

先日採択された論文とは別のもので,こちらは昨年11月に東京で開催された
Asia-Pacific Conference on Complex Systems (Complex'09)で発表した中から
推薦論文として選ばれたものです.そのおかげで正規に投稿したものよりも
早く査読されてこの度出版される運びとなりました.

海外にいるのでまだ手元には届いていませんが,こちらもかなり無理をして
国際会議に二本出しをし,そのうちの一本が選ばれたというものなので,
私の感慨もひとしおです.英語の直しもかなり時間をかけてやりましたしね.

内容は以前紹介した進化経済学の教科書で書いたものに加えて,
市場制度におけるルール(複製子)とそこに関係する行動主体(相互作用子)の構造を
西部(2006)のモデルの枠組みを用いて説明を行っています.



ここで重要なのは,取引所における制度設計担当部署が取引参加者と相互作用している点と
取引所同士が相互作用している点です.サーキットブレーカー制度を例にとるならば,
前者は株価の暴落という環境変化により,取引参加者自身が市場から退場させられないように
(生物学的に言うならば,自己保存のために)制度設計担当者に取引所のルール(複製子)の
変更を求め,制度設計担当者も取引所のシステムを維持するために
(取引所というシステムの自己保存のために)ルールブックの変更について
取引参加者に広く意見を求めるような相互作用が考えられます.

後者は,取引所の制度設計担当部署がすでにサーキットブレーカーを導入している
他の取引所の基準を参照して自取引所のルールを設定するという,取引所間の相互作用です.
これらの相互作用は,ルールブックに記載されている文字情報だけではなく,
取引所が形成する市場価格などのさまざまなマクロデータによっても媒介されるでしょう.
実際にいくつかの取引所で2008年10月に実施されたサーキットブレーカー制度の改変を見ると,
その多くがニューヨーク証券取引所のルール(複製子)を参照し,
その一部をコピーして自己のルール(複製子)を改変したものと考えられるのです.

かいつまんだ説明になってしまいましたが,詳しくは出版された論文を参照ください.
まだアップされていませんが,じきにこちらよりダウンロードできるようになるそうです.
本論文の日本語版を請求される方はメールにて直接私にご連絡ください.
メールアドレスは左上の自己紹介にある「詳細プロフィール」内に記載されています.

2010年10月15日金曜日

暖房システム

10月に入り,トリノも日中の気温が20度を超えなくなりました.
とりわけ早朝はすこぶる寒く,屋外では吐く息も白かったりします.
そんななか自宅における暖房はかかせないものなのですが,
この暖房,日本のものとは少し変わっています.



自宅の暖房は固定型の熱水循環式なのですが,まず決まった期間しか使えません.
どういうことかと言いますと,夏場は自分で動かすことはできず,
大家さんか誰かがGoサインを出すと使えるようになるみたいです.

9月末もだいぶ寒い日があったのですが,暖房を入れようにも
稼働していないのでウンともスンともいいません.まさかこのまま
暖房が稼働しないのではと思っていた矢先,勝手に稼働を始めました.



ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが,
そう,この暖房は頃合いを見計らって勝手に稼働するのです.
もちろんコックをひねらないと温水は流れないのですが,
そこを開けっ放しにしたとしても温水は常時流れてくるわけではありません.
部屋の片隅に温度を設定をするダイヤルっぽいものがあるのですが,
このダイヤル,どうも回す手応えが軽すぎて,稼働しているとは思えません.
なので,気まぐれで温水が流れたり流れなかったりしています.

幸いにも部屋が寒いということはないのですが(むしろ暑いくらい),
外出して帰ってきてもすぐに部屋が暖まることがありません.なぜなら気まぐれですから.
11月,12月になってトリノの街がどれほど冷え込むのかわかりませんが,
イタリア人がこの暖房システムを許容しているのですから,
室内で凍死することはないのでしょう.というか,ない...と信じたいです.

2010年10月12日火曜日

10月のミーティング

朝早く,帰国する母親と叔父をタクシーに乗せて自宅近くでお別れ.
一緒にいたのは1週間もありませんでしたが,ホントいろいろなことがありました.
特に前半のロストバゲージを乗り越えたことにより,私の戦闘力もアップしましたし.

午後からTerna研のミーティング(ゼミ)があるので,トラムで大学まで移動.
降り際に声をかけられ,振り返るとTerna研の院生さん.「僕のこと憶えてるか?」
と言われましたが,忘れるわけはありません.彼は3ヶ月前に私をトリノの街の中で
1時間も待たせた
張本人ですから(笑).ミーティングは月1の予定なのですが,
前回は7月末に行われた私のトークだったので,およそ3ヶ月ぶりの開催です.
久しぶりの再会ということで,バカンスのことや研究の進捗などを話しながら校内へ.
院生さんは普段別のキャンパスにいるので,めったに会うことはありません.
私のキャンパスにいるのは学部生ばかりなので,院生さんとの接点はないんですよね.

ミーティングは前回も話したポスドクと院生さんふたりがトーク.
ポスドクの方は,ほとんど前回の説明と一緒でしたが,モデルが改良されていました.
院生さんのひとりは,競争的環境から協力がどのように出現するかという研究を
アブストラクトな市場モデルで取り組んでいました.モデルを構築している最中らしく,
コードを見せながらトークをするのですが,私には細かすぎてわかりませんでした.
新規性の部分をいまいち見いだせなかったので,もう少し突っ込んで聞けばよかったです.

もうひとりの院生さんは,Terna先生が進めているイタリアの銀行間モデルの話.
銀行間決済には時点ネット決済であるDNS(Deferred Net Settlement)と
即時ネット決済であるRTGS(Real-Time Gross Settlement)があります.
RTGSだと連続的な決済が可能なので,ひとつの銀行が倒れたことによって起こる
システミック・リスクを削減することができると言われています.

かくいう世界各国の銀行間決済ではRTGSが利用されているようで,
日本でも日銀ネット(当座預金・国債・外為決済等)はRTGSを使っています.
ただしあらゆるすべての決済がRTGSになっているわけではなく,
内為決済で使われている全銀システムはDNSのままだったりします.
(全銀システムの大口決済は2011年に日銀ネットに移行予定).

前置きが長くなりましたが,問題はなぜRTGSが支配的な枠組みにならないかというものらしく,
RTGSのデメリットも挙げた上で,両者のハイブリッドシステムである
RRGS(Receipt-Reactive Gross Settlement)を用いたシミュレーションとネットワーク分析を
イタリア銀行間取引の実データを使って行っていました.
内部のミーティングなので,この先の結果等の詳細は控えますが,
やはり実データの収集と扱いが難しいとの話もありました.

院生さんの学生の発表を聞く機会はあまりないのですが,
皆さんレベルが高くてトークも比較的流暢な英語でこなしています.
ただしミーティングにおけるディスカッションは常に低調なので,
これは互いの研究には口出しをしないという個人主義の現れなのかもしれません.

2010年10月11日月曜日

お出迎え

この日は,スイスからミラノを経由してトリノへ戻ってくる母親と
ジェノバからトリノへ戻ってくる叔父をポルタノーヴァ駅でお迎えするはずだったのですが,
母親の手違いでひとつ手前の駅であるポルタスーザ駅までの切符しか買っていないことが
ウィーンで判明.おそらくそのままポルタノーヴァ駅まで行って降りても問題はないのでしょうが,
ふたりの到着時刻も1時間ほど間隔があるので,それぞれ別の駅へ迎えに行くことにしました.

18時50分,予定より3分早くジェノバからの電車がポルタノーヴァ駅に到着し,
ホームにて叔父をお出迎え.ジェノバではぼったくりらしきものに遭ってしまったそうですが,
さほど高額でもなく本人も無事だったのでひと安心.トラムで自宅へ戻り,
自宅に叔父を置いて,今度は母親を迎えにポルタスーザ駅まで徒歩で移動.

実はポルタスーザ駅から電車に乗り降りしたことがなく,しかも地下駅&工事中なので
入れ違いにならないか不安だったのですが,到着の案内板を見て,こちらもホームで
出迎えることができました.母親のほうは天気もすこぶる良く,特に何のトラブルもなく
グリンデルワルトとツェルマットのふたつの街を起点にスイスの山々を楽しめたとのこと.
初日がロストバゲージで大変だっただけに,次は何が起こるか不安でたまりませんでしたが,
終わりよければすべてよしといったところでしょうか.

ふたりはこの日がトリノ最後の夜.ウィーンからずっと移動で疲れていると思ったので,
夜は自宅で私がジェノベーゼのパスタとサラダをつくってふるまいました.
ビールで乾杯し,1週間の出来事やそれぞれの旅を振り返りながら団らん.

イタリアにある自宅で母親にパスタをつくるなんて,数年前には想像もしなかったことです.
イタリアにいることに違和感を持たなくなってきた私ですが,
この状況には何か不思議な感覚をおぼえました.
何はともあれ,私がイタリアへ来ることがなければ旅行することもなかったわけで,
そういう意味では少しは親孝行ができて良かったのかなと思いました.

2010年10月10日日曜日

採録決定

博士前期課程から続けてきた人工市場シミュレーションの研究をまとめた論文が
投稿していた英文雑誌に採択されたと事務局から連絡を受けました.

投稿したのが昨年10月でしたから,丸1年かかっての採択となります.
ですが,論文自体を書き始めたのは投稿よりも半年以上前になりますから,
もっともっと時間がかかっていることになります.そういえば論文合宿もはりましたっけ.

論文合宿は昨年5月に福井で行いましたが,総括には「今月中に投稿する」と書かれています.
実際にはそこから5ヶ月かかっているので,行程が大幅に遅れ気味だったことを反省します.

学術雑誌に投稿することも英語で本格的な論文を書くのも初めての経験だったので,
ある程度の時間がかかるのは必然なのかもしれませんが,日本語に比べて書き上げようという
気持ちを維持し続けるのが難しかったです.単に論文を出版するというだけなら日本語のほうが
圧倒的に早いわけで,おそらく査読結果への対応もすんなりとこなせることでしょう.

ただ,書き上げた自分の論文を多くの研究者に読んでもらうためには英語でなくてはなりません.
イタリアに来て自分の研究を説明したときに,論文はないのか?と聞かれることがままあります.
そんなときに日本語ならあるけど...などと言うと,とたんに食いつきが悪くなったりもします.
業績の積み上げも大切ですが,やはり書いたからには読んでもらわないと意味がありません.

書かなくてはならないというモチベーションだけではなく,海外にいるである多くの読者が
自分の研究論文を読んで刺激され,またフィードバックをくれるというシーンを想像してみると,
執筆のモチベーションも上がるのではないかと,こっちに来てから思った次第です.
至極当たり前の話なのかもしれませんが,そんなことをイタリアに来て再認識させられました.

とはいえ,まだ出版ではなく採録決定なので,英文校正など出版へ向けた作業も残っています.
最後まで気を緩めず,なるべく早く皆さまのもとへ論文を届けられるよう努力したいと思います.

2010年10月9日土曜日

市庁舎+ドナウ川

ウィーン最終日.ホテルに荷物を預けてこの日もお昼まで市内を観光.



19世紀に建てられたネオゴシック様式のウィーンの新市庁舎.
高さ60mの4つの塔と98mの中央塔が目をひきます.



100年以上前に建築されたものに「新」はないだろうというのがわれわれの感覚ですが,
こちらでは1世紀前のものは,まだ新しいものという感覚なんですね.



新市庁舎からヴォティーフ教会を遠くに望む.



新市庁舎の前に建つのがイタリアンルネッサンス様式のブルク劇場.
マリア・テレジアが1741年に建てたものですが,
現在の建物は,戦災に遭い1955年に復興したものらしいです.



ギリシア古典様式の国会議事堂.正面に女神アテナ像の噴水.


ここで叔父はクリムトの画がみたいということで,レオポルト美術館へ.
母親はかつて城壁があったリンクという場所を走っている
市電に乗って一周したいということで,私もそちらに便乗することにしました.



かつては乗り継ぎなしでリンクを一周する市電があったそうですが,
数年前に廃止されたらしく,一周するためには乗り継ぎが必要です.
市電からはウィーンの主だった街の顔を眺めることができます.
行き損なったヨハン・シュトラウス像も市電の窓から眺めることができました.



一周したところでまだ時間があったので,私だけひとりで市電に乗ってドナウ川を観に行くことに.
でもこれが予想以上に時間がかかりました.ドナウ川はリンクから
ちょっとだけ離れているかと思いきや,意外と遠かったのです.
ドナウ川は難なく見ることができたのですが,そこから市街へ戻るのに結構時間がかかりました.



出費を覚悟で初めてDoCoMoの携帯を使って約束の時間より遅れる旨を連絡.
結果,リンクをグルグルと二周もすることになってしまいましたが,
オペラ座で待ち合わせて無事に会うことができました(写真はオペラ座前の通り).

夕方の便で再びウィーンからミラノへ逆戻り.実は明日から各々がバラバラの行動を
とることになっていたので,母親と叔父とはマルペンサ空港でお別れすることに.

母親と叔父は,本日はミラノで宿泊しますが,母親は翌日からスイスへ向かい,
叔父はミラノを観光してからジェノバへと向かうとのこと.私はひとりバスでトリノへ帰宅.
また3日後にふたりがトリノへ戻ってこられるかどうか不安でたまらなかったのですが,
旅の疲れからか翌日になっても目覚めることなく,ひたすら寝続けるのでありました.