2010年11月12日金曜日

イタリア統一150周年

2011年3月17日にイタリアは統一150周年を迎えます.
「150年って意外と歴史が浅いのね」と思われるかたも多いでしょう(私もそうでした).
統一前のイタリアはいくつかの都市国家が形成されていたようです.
というわけで,以下にイタリア統一の経緯を引用記述します.

イタリアは中世以来都市国家に分裂状態にあり、19世紀になると、イタリア人としての民族意識が高まり、統一運動が活発になっていました。(イタリアの小国は神聖ローマ帝国時代以来ドイツの影響下に置かれ、19世紀には、ハプスブルク家のオーストリアに従属している国が多く、またフランスもイタリアに干渉していました。)1849年以後、イタリア統一の中心となってくるのが、サヴォイア王家が統治するサルデーニャ王国でした。サルデーニャ王国が中心となってイタリアを統一するのが一番現実的だと多くのイタリア人は考え、1849年、サルデーニャ王国にヴィットリオ=エマヌエーレ2世という新しい王が即位し、自由主義的改革による近代化とイタリア統一をめざします。そして政治家カヴールが首相に任命されましたが、ヴェネツィアをのぞく北部イタリアを併合しただけで、サルデーニャ王国の統一戦争は一時中断してしまいました。 しかし青年イタリアのメンバーとして以前から統一運動で活躍していたガリバルディが、個人的に義勇兵約1000人を集めて(千人隊あるいは赤シャツ隊)、1860年イタリア半島の南部からローマに向かって進軍。その後自分が占領した南イタリアを中心とする土地を王に献上し、イタリア半島の統一がほぼ完;成しました。ガリバルディの活躍で、ローマ教皇領とオーストリア支配下のヴェネツィアをのぞくイタリアの大部分がサルデーニャ王国によって統一。こうしてヴィットリオ=エマヌエーレ2世は、1861年イタリア王国の成立を宣言し、初代イタリア国王に即位しました。(首都トリノ)以後、1866年にヴェネツィアが、1870年に教皇領もイタリア王国に編入されていきました。(首都はフィレンツェを経て1870以降ローマ)
イタリア政府観光局公式サイトより引用




最後の説明にあるようにトリノは統一された際の最初の首都だったので,
統一150周年のイベントにも結構力が入っているようです.
市内の広場には150周年をカウントダウンする電光掲示板があったり,
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世展なども開かれているようです.



実は自宅のホント目の前の建物で統一150周年の展示が開かれています.
(統一の英雄であるガリバルディの名を冠した通りだからでしょうか)
引っ越してきたときからあったので,6月よりも前からずーっと開催されていて入場は無料です.
今月になるまで一度も入ったことがなかったのですが,フラッとのぞきに行ってみました.



それほど大きくないスペースですが,上記のイタリア統一の経緯や首都時のトリノ写真などが
ところ狭しと並べられていました.残念ながらすべてイタリア語なので,理解はできません.
でも,モーレ・アントネッリアーナを中心とした昔のトリノの様子は,現在と比較すると
どこが変わって,どこが変わっていないか,街の変遷がわかってなかなか面白かったです.

時期によって展示を入れ替えてくれると嬉しいのですが,
こちらは来年3月の統一150周年式典まで変化しないのでしょうね.