2010年10月31日日曜日

サマータイム終了

サマータイム(夏時間)をご存じでしょうか?
日本にはあまり馴染みのない制度ですが,欧米ではとても一般的な制度です.
夏の日照時間が長い欧州で,労働時間や余暇,そしてエネルギー資源を
効率的に使おうと始まったものらしいです.

そのサマータイムが今日で終了したため,
イタリアと日本との時差が1時間延びて8時間になりました.

どのように時刻を調整するかというと,
10月の最終日曜日の午前3時になると,
午前2時に1時間時計を戻し,1時間増やすというわけです.
私の携帯電話は,自動的に冬時間になっていました.
残念ながら,腕時計は自分で1時間戻さなければなりませんでしたが.

この頃は午前8時になっても若干薄暗い感じだったので,
これでようやく日本の朝と同じ感覚に戻るでしょうか.

ちなみに明日11月1日は「諸聖人の日」でイタリアは祝日.
聖人と殉教者に敬意をはらう日らしいので,お祭り騒ぎというわけではなさそうです.
もう明日から11月ということで,トリノは完全に冬装備.
私もダウンを来て買い物に行っています.雪もそろそろ降るのかな?

2010年10月30日土曜日

プリペイドカード

モバイルキーの残高が10ユーロを切り,このままでは来月からネットを使えなくなるので,
リカリカ(チャージ)をするべく自宅近くのタバッキへ.

「ヴォレイ リカリカーレ ムニャムニャ」 
前にチャージしたときに唱えた呪文を復唱するも店主は怪訝そうな表情.
チャージできる金額もさることながら,どうやらお店でチャージできる機械が使えないそう.



代わりにこれでリカリカできるよと出してくれたのがこのカード.
チャージ用のプリペイドカードです.むむう,カードの使い方がわからない.
なので,このタバッキではトラムの回数券(カルネ)だけを大人買いして別のタバッキへ.

別のタバッキにて同じ呪文を復唱するも,これまた店主が怪訝そうな表情.
やっぱりお店でリカリカできる機械が使えないという.時間によって使えないのでしょうか.
イタリア語で一生懸命伝えようとしてくれたのですが,早すぎて私には理解できません.
お礼を言って去ろうとしたとき,こんなのあるよって出されたのがさっきのカード.
せっかくだから試してみるかと10ユーロ×2枚を購入して帰宅.



これ,カードの後ろのスクラッチの部分を削り,そこに書いてある16桁の番号を
電話で入力すればリカリカできるというものらしいです.

チャージ用の番号4242に電話すると,女性の自動音声が流れ,
イタリア語で○○をするなら0番,××をするなら1番,△△をするなら2番・・・
そこまではわかったのですが,肝心の○○や××がまったくわかりません.
ネットで調べるもTIM(イタリアで一番大きい携帯会社,日本でいうNTT DoCoMo)に
関する情報は載っているのですが,私のキャリアであるWind(新興の携帯会社,
日本でいうAUみたいなもの)に関する情報はまったく載っていないのです.

この4242がフリーダイヤルなのをいいことに,
そこから繰り返し何度も聞くという作業が始まりました.
いかんせん選択肢が多いので,聞き分けるのに相当苦労しましたが,
最初は1番,そして次も1番をプッシュすると,カードの裏に記載されている
16桁の番号をプッシュせよというところにいくことがわかりました.
ここまでたどり着くのに20分は擁したでしょうか.

そして16桁の番号を入力して終了し(確認のために番号を復唱してくれます),
ネットでモバイルキーの残高をチェックすると,ワーイ!!
ちゃんと10ユーロがチャージされてました.

電子辞書がないながらも頑張りました.そして,また大人の階段のぼりました(笑).

2010年10月25日月曜日

貨幣意識の論文出版

北海道大学の西部教授と栗田さん,そして橋本さんと共同で進めている
貨幣意識の研究に関して,このほどふたつ論文が刊行されました.

ひとつは,異なる社会活動に従事している集団の貨幣(お金)に関する
価値意識の違いを調べたもので,調査対象として,社会集団として対照的な存在と考えられる
地域通貨に関係している人たちと金融機関に従事している人たちを取り上げています.
そもそも「貨幣意識」とは何ぞやということですが,簡単にいえば現行の貨幣制度の下で
自己の行動を決定するための価値基準と考えてください(詳しくは論文をご参照ください).
その貨幣意識の違いと社会活動の違いの相関関係を調べたというのがメインの内容です.

2者間の貨幣意識の違いは割とはっきりと出て,地域通貨関係者は金融関係者に比べて
貨幣の多様性と公共性(平等,安全,友愛)を強く是認することがわかりました.
一般の人たちの貨幣意識も調査したのですが,金融関係者は貨幣の多様性と公共性について
一般の人たちよりもこれらの数値がさらに低い傾向にありました.

活動を行ったから意識が変わったのか,もともと同じ意識を持つ人たちが集まっただけなのか,
因果関係まではわかりませんが,異なる社会活動に属する人たちでは価値意識に違いがあり,
ここから,その価値意識に特徴付けられた多様な制度が生み出しうることが示唆されます.
さらなる結果の考察に関しては論文をご参照ください.以下,書誌情報です.

小林 重人*,西部 忠*,栗田 健一,橋本 敬:社会活動による貨幣意識の差異-地域通貨関係者と金融関係者の比較から-,企業研究,Vol.17, pp.73-91, 2010. (*equal contribution)

残念ながらこちらの論文はウェブでダウンロードできません.
出版元の中央大学企業研究所に問い合わせていただくか,
私に連絡いただければ別刷りをお渡しすることができます.
またこの論文は,2008年に北海道大学社会科学実験研究センター(CERSS) より
ワーキングペーパーとして刊行された内容を若干修正したものですので,
そちらでしたらウェブからダウンロードすることができる状態になっています.
ただし,ダウンロードにはご自身のメールアドレスの入力が必要です.


もうひとつは,地域通貨の流通が人々の貨幣意識にどのような影響を与えるのかを,
武蔵野市にて9ヶ月間実施された地域通貨「むチュー」の流通実験を通して調べた論文です.
結果から,単に地域通貨を流通させるだけでは人々の貨幣意識は変化せず,地域通貨に対する
理解が促進されると貨幣の多様性を是認する傾向になることがわかりました.
しかしながら,理解が促進されると,同時に利子に対する肯定的な評価を強めるという
地域通貨の特性(利子ゼロまたは減価)とは逆行する意識も現れることがわかりました.
すなわち,地域通貨の理念や特性を理解することは,それらに対する評価として,
肯定と否定の両方を生み出しうるということになります.
これは地域通貨の導入を検討する上で,とても興味深い結果です.

また,流通実験が2008年10月に発生したリーマンショックをまたいでいることから,
金融危機のような経済環境の大規模な変化が人々の価値意識を
どのように変容させたかということについても調べることができました.
こちらは,地域通貨の流通前後でベーシックインカムを肯定する意識と
拝金主義を否定する意識が強まっていることがわかりました.
とりわけこの2つは金融危機後に人々の批判にさらされた新自由主義を否定する項目であり,
金融危機が人々の貨幣意識に影響を与えた可能性が高いと言えます.以下,書誌情報です.

小林 重人*, 栗田 健一*,西部 忠,橋本 敬:地域通貨流通実験前後における貨幣意識の変化に関する考察-東京都武蔵野市のケース-,北海道大学社会科学実験研究センター(CERSS) ワーキングペーパーシリーズ,No.118, 2010. (*equal contribution)

こちらも同じく北海道大学社会科学実験研究センター(CERSS)より
ダウンロードすることができます.別刷りはございませんので,ウェブのみでご覧ください.

2010年10月22日金曜日

シミュレーションの講義

10月18日~22日にかけてドクター向けのシミュレーションの講義があるので
参加してみないかとお誘いを受けたので,ぜひぜひにと参加してきました.
いわゆる集中講義で,1日3コマ×5日の計15コマ.しかも講義は朝9時からお昼まであり,
午後はhomeworkのための時間に設定されています.

いつもはトラムに乗って20分くらいのキャンパスへ通っているのですが,
この講義は中心街にあるポー通りにある別にキャンパスで行われました.
(Porta di Poのすぐ近くで,自宅から歩いて20分のところです)

一度も行ったことがない場所だったので不安があったものの,
大学のキャンパスだから迷うことはないだろうと思っていたら,ものの見事にやられました.



まず看板が驚くほど小さくてまったく目立たない.扉も通りにある普通のもので,
まさかこんなところがキャンパスの入口だなんて思いもよりませんでした.
幸いにも通り過ぎた後に知り合いの院生さんと会ったのでわかりましたが,
そこで会っていなければ永遠に探し続けていたことでしょう.

しかもこの扉,インターフォンを押して中から開けてもらわないと開きません.
建物の中に入っても同じような扉がもうひとつあり,
そこでは秘密の番号を押すと開くという関門でした(謎).

経済学部は建物の4階の1フロアを貸し切っているようで,
ここはどうやら院生とポスドクの居室になっているようです.
院生さんはこんな街中で研究していたんですね.
小さな部屋に数名がはいっている居室は日本のそれとあまり変わりないものでした.

講義は英語で行われ,参加者は10名程度.例によって国籍もさまざまです.
エージェントベースシミュレーションにおけるモデリングについて
「NetLogo」「Python」を使って実践するという内容です.
NetLogoは3年前に参加したESSAでも大人気の言語で,
プログラミングに慣れていない社会科学系の人たちにとっては非常に扱いやすい言語です.
Pythonもいまや産業界の開発の場で広く使われている言語であり,
統計解析で用いられるソフトウェア「R」との連携も楽に行えるそうです.

導入で社会シミュレーションにおけるモデリングについて
古典から最新の重要と思われる論文について解説があり,その意義や効果についてお勉強.
1日目の半分くらいで座学が終わり,そこからはひたすらコードとの戦いが始まりました.

NetLogoは私も講義で扱ったことがあるのでそれほど苦ではありませんでしたが,
Pythonを扱うのは初めて.NetLogoとPythonを使ってまったく同じものを作り,
それを比較しながらモデリングを勉強していくのですが,3日目くらいから内容がかなりハードに.

homeworkも最初は楽々こなせていたのが,最後のほうは半日かけてグッタリという有様.
シミュレーションの講義を短期集中にするのはちょっとキツイかも...
Javaをやっていたのでオブジェクト指向についてはそれなりに理解しているつもりでしたが,
改めてPythonを通じてオブジェクト指向を基礎から学んでみると,
わかったようになっていたところがいくつかありました.

文法も含めてかなり短期間で詰め込んだので,
帰国してからも自分で勉強し直さないとまた忘れてしまいそうです.
これを期にPythonをモノにして,研究で使ってみよっと.

この1週間,朝からみっちり大変でした.土日にガッツリ休んだことは言うまでもありません.

2010年10月20日水曜日

大学院生の研究能力強化とは

橋本研ブログのほうに橋本さんから興味深い投稿があったのでコメントしようとしましたが,
書いているうちに長くなってしまったので,こちらに投稿することにします.

自分のまわりで,国際会議で招待されたり,欧米から院生やポスドクがやってくる人を見ていると,独創的で個性あふれるその人自身やその人がリーダーを務めるグループの研究で着目されている.その魅力に惹かれて院生やポスドクも来る.デュアルディグリー・プログラムをやっているとか,奨学金もらえるからということでは決してない.とくに博士課程の学生だったら,自分が所属している学校と相手先が提携校だからそこの大学院に進学しよう,というような「学校レベル」で志望するのではなく,こんな面白い研究をしている人の研究室で自分も研究したいと思うから,自ら行くのだろう.
橋本さんの投稿(2010/10/19)より引用


トリノ大でゼミや講義に参加していると,イタリアであっても,パリ大やイェール大など
さまざまな地域からさまざまな人種が集まっていることに驚かされます.
アジアからの留学生も多く,中国やインド系の学生はよく見ます.
残念ながら日本人学生はまったく見かけませんが.

トリノ大はイタリアの大学の中でも上位校と言われているので,
そのブランドもあるのでしょうが,やはりゼミのメンバを見てみると
受入研究者であるTerna先生の研究に惹きつけられて来る院生やポスドクが多いようです.

つまり「人」や「研究室」レベル.そういう人は当然ながら研究・目的意識が明確.意識が高い人が来ると,研究室のアクティビティが高まり,また自然に院生やポスドクが集まり,という感じでチームができてくるのでは.
橋本さんの投稿(2010/10/19)より引用


確かにイタリアでの院生の研究・目的意識は明確でレベルも高いです.
そもそもイタリアの大学は留年率が高く,卒業への道のりがとても険しいです.
なので学部生といえど,もの凄い勉強熱心で,教員のところにひっきりなしで質問にきています.
しかしながら,自然とチームが形成されるかというと微妙なところで,
結構個人プレーなところもあります.ゼミでの議論は極めて単調ですし,
端から見ていると,意図的に他人への研究に関与しないかのようです.
おそらく社会科学系という研究分野の性質も多分にはあると思いますが.

もうひとつ,以前JAISTのサポートボードミーティングでイタリアの大学では
日本よりも英語で行われている講義が少ないという資料がありましたが,
こちらの院生のほとんどは比較的流暢な英語を話します.
ドクター向けの講義はもちろん英語で行われています.
学部生であっても英語を話せる人は多いので,
英語の講義の数と学生の多様性はさほど関係ないのだと思いました.

JAISTが生き残るためには,SDプログラムや給付奨学金など
他大学も行っているような餌だけで優秀な学生を集めるのではなく,
ご指摘の通り研究者の魅力ある研究で学生を集めることも当然必要になってくると思います.
地理的な不便さや知名度の低さから優秀な学生が来ないと嘆く教員もいるかとは思いますが,
知名度を上げるのは教員の研究内容や成果にも多分に依拠してると思いますので.

大学の世界も完全にグローバル化し,世界中の優秀な学生確保が大学の生き残りの唯一の道っぽい感じになっている.日本はその点で大いに立ち後れている.
橋本さんの投稿(2010/10/19)より引用


優秀な学生の確保や教員の研究力向上は極めて重要なファクターでありますが,
在籍する学生の研究力の向上も当然無視できないファクターであると考えます.
私の浅はかな考えかもしれませんが,本学は他の大学がこぞって競う優秀な学生の確保よりも,
荒削りながら磨けば光るそんな学生を集めて教育をする,
そちらに特化した大学院として存在感を示すと
いうのもひとつの道なのではないかと思ったりもします.

国立大学も独法化され,交付金削減等で淘汰が始まっているさなか,
経営者側はそんな悠長なことを言ってられないのでしょう.
そもそも制度の枠組みをつくるのが大学院改革であって,
教育の現場は従来の意識を持ったままの教員に委ねられているのかもしれません.

本学の知識科学研究科はここ数年,知識科学を体系化すべく概論科目を創設したり,
講義にディスカッションを取り入れたりと講義ベースではめざましい改革が行われています.
しかしながら,研究活動に取り組み出すと,とたんに知識科学という概念が
どこかへ飛んで忘れ去られているような気がします
(講義の取り組みが始まったばかりというのもありますが).

研究科には3つの領域(社会知識領域,知識メディア領域,システム知識領域)があって,
それらは知識科学を形成する中で,いずれも欠かすことのできないものであるとされています.
概論では教員の研究成果からどのように知識科学が位置づけられるか考えるという
新しい試みがされているようですが(渡航後に行われていた講義は聴講していません),
学生の研究ベースで考えたときに果たしてその部分はどのように昇華されているでしょう.
多くの学生(私もそうでしたが)は,まだ知識科学を名目上の目的として捉えているでしょう.

学生各々の研究で知識科学がどのように位置づけられているかを認識するためには,
研究をしていないM1の段階だけではなく,研究が形になり始めたM2やドクターに
なってからも知識科学とは何ぞや?という問いかけを自己にしていかないとならないでしょう.
そのための提案として,講義だけではなく,領域や研究室を超えた学生同士の研究交流や,
研究科内の学生ポスター発表会もいいかもしれません.
できあがった研究成果よりも,どのような過程を経て知識科学と結びつけられたのか,
また自分の研究領域と異なる他の研究領域が自分の研究とどう繋げられるのか.
そんなことを考えられる場があったら知識科学と研究科全体が盛り上がっていくと思います.

私が今ぼんやりと考えていて実行したいのはドクターの学生へ
博士論文執筆過程をフィードバックする会です.
博士論文の書き方や心構えもそうですが,博士(知識科学)を得ることの意味や
それを得るために考えなくてはならないこと,そういう曖昧にしがちなところも
先駆者として後から続く者へ伝えていく必要があるのではないかなと考えています.

いまの私にできるのは全学・研究科全体のパフォーマンスをすぐに変えるマクロなものではなく,
ひとりひとりに自分自身で伝えて意識を変えていくミクロな活動だと思っています.
毎年やっている学振申請書検討会もそのひとつです.その結果,あらゆる"知"が創造され,
少しでもJAIST全体の研究活動が活性化されれば私としては嬉しい限りです.

2010年10月18日月曜日

ウィーンでの交流と日本文化

先日ウィーンで会った現地の女子大生からシェーンブルン宮殿で撮った写真が
母親のメールアドレス宛に送られてきました.

出会ってから1週間以上は過ぎていたのですが,メールが日本語だったので,
おそらく書くのに苦労したのでしょう.メールの終わりには「敬具」って書いてありましたし.



今見ると私よりも身長が高い!向かって一番右は母親です(それはわかりますよね).

彼女たちにどうして日本に興味を持ったのか?尋ねたところ,やはりマンガとドラマ,
そしてジャニーズだそうです(笑).最初ヤニーズというので何のことかさっぱりでしたが,
嵐とかユニット名が出てきたので,ジャニーズだとわかりました.Jaは「ヤ」と読むんですね.
欧州の女性でもジャニーズが好きとは意外でしたが,若い女性の好みは万国共通でしょうか.

マンガでお気に入りなのはNARUTOだそうです.このNARUTOの人気はイタリアでもそうで,
Terna研のポスドクの女性も壁紙にしてたり,トラムの中で単行本を読んでいる若者や,
はたまた電車で単行本を山積みにして読んでる男の子を見かけたこともあります.

テレビでも日本のアニメをやっていない日はありません.ONE PIECEやドラゴンボール
古いところでは釣りキチ三平,宇宙戦艦ヤマト,そしてクリィミーマミも知られています.
フィギュアショップも珍しくなく,ガンダム(イタリア語ではグンダム)のモビルスーツが
所狭しと並べられているお店もあります.なので,イタリアの幅広い世代で日本のアニメが通じ,
そこから会話が盛り上がることが多々あります.イタリアで絶対ウケる鉄板ネタは,
北斗の拳のケンシロウ.北斗神拳をマネすると必ずウケます(統計的には3/3ですが).

話がだいぶ横道にそれてしまいましたが,私もお礼と彼女の勉強も兼ねて
日本語と英語の両方を併記したメールを彼女に送ってみました.
漢字はまったく読めないと話していたので,全部ひらがなで書きましたが,読めたでしょうかね.
残念ながら今のところ返信はありませんが,お礼の気持ちが伝わっていれば嬉しいです.

2010年10月17日日曜日

制度進化の論文出版

私と橋本さんの共著である英語論文がこのほどEvolutionary and Institutional Economics Review (EIER)より出版されました.書誌情報は以下の通りです.

Shigeto Kobayashi and Takashi Hashimoto (2010) "Analysis of Institutional Evolution in Circuit Breakers Using the Concepts of Replicator and Interactor", Evolutionary and Institutional Economics Review (EIER), Vol.7, No.1, pp.101-112.

先日採択された論文とは別のもので,こちらは昨年11月に東京で開催された
Asia-Pacific Conference on Complex Systems (Complex'09)で発表した中から
推薦論文として選ばれたものです.そのおかげで正規に投稿したものよりも
早く査読されてこの度出版される運びとなりました.

海外にいるのでまだ手元には届いていませんが,こちらもかなり無理をして
国際会議に二本出しをし,そのうちの一本が選ばれたというものなので,
私の感慨もひとしおです.英語の直しもかなり時間をかけてやりましたしね.

内容は以前紹介した進化経済学の教科書で書いたものに加えて,
市場制度におけるルール(複製子)とそこに関係する行動主体(相互作用子)の構造を
西部(2006)のモデルの枠組みを用いて説明を行っています.



ここで重要なのは,取引所における制度設計担当部署が取引参加者と相互作用している点と
取引所同士が相互作用している点です.サーキットブレーカー制度を例にとるならば,
前者は株価の暴落という環境変化により,取引参加者自身が市場から退場させられないように
(生物学的に言うならば,自己保存のために)制度設計担当者に取引所のルール(複製子)の
変更を求め,制度設計担当者も取引所のシステムを維持するために
(取引所というシステムの自己保存のために)ルールブックの変更について
取引参加者に広く意見を求めるような相互作用が考えられます.

後者は,取引所の制度設計担当部署がすでにサーキットブレーカーを導入している
他の取引所の基準を参照して自取引所のルールを設定するという,取引所間の相互作用です.
これらの相互作用は,ルールブックに記載されている文字情報だけではなく,
取引所が形成する市場価格などのさまざまなマクロデータによっても媒介されるでしょう.
実際にいくつかの取引所で2008年10月に実施されたサーキットブレーカー制度の改変を見ると,
その多くがニューヨーク証券取引所のルール(複製子)を参照し,
その一部をコピーして自己のルール(複製子)を改変したものと考えられるのです.

かいつまんだ説明になってしまいましたが,詳しくは出版された論文を参照ください.
まだアップされていませんが,じきにこちらよりダウンロードできるようになるそうです.
本論文の日本語版を請求される方はメールにて直接私にご連絡ください.
メールアドレスは左上の自己紹介にある「詳細プロフィール」内に記載されています.

2010年10月15日金曜日

暖房システム

10月に入り,トリノも日中の気温が20度を超えなくなりました.
とりわけ早朝はすこぶる寒く,屋外では吐く息も白かったりします.
そんななか自宅における暖房はかかせないものなのですが,
この暖房,日本のものとは少し変わっています.



自宅の暖房は固定型の熱水循環式なのですが,まず決まった期間しか使えません.
どういうことかと言いますと,夏場は自分で動かすことはできず,
大家さんか誰かがGoサインを出すと使えるようになるみたいです.

9月末もだいぶ寒い日があったのですが,暖房を入れようにも
稼働していないのでウンともスンともいいません.まさかこのまま
暖房が稼働しないのではと思っていた矢先,勝手に稼働を始めました.



ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが,
そう,この暖房は頃合いを見計らって勝手に稼働するのです.
もちろんコックをひねらないと温水は流れないのですが,
そこを開けっ放しにしたとしても温水は常時流れてくるわけではありません.
部屋の片隅に温度を設定をするダイヤルっぽいものがあるのですが,
このダイヤル,どうも回す手応えが軽すぎて,稼働しているとは思えません.
なので,気まぐれで温水が流れたり流れなかったりしています.

幸いにも部屋が寒いということはないのですが(むしろ暑いくらい),
外出して帰ってきてもすぐに部屋が暖まることがありません.なぜなら気まぐれですから.
11月,12月になってトリノの街がどれほど冷え込むのかわかりませんが,
イタリア人がこの暖房システムを許容しているのですから,
室内で凍死することはないのでしょう.というか,ない...と信じたいです.

2010年10月12日火曜日

10月のミーティング

朝早く,帰国する母親と叔父をタクシーに乗せて自宅近くでお別れ.
一緒にいたのは1週間もありませんでしたが,ホントいろいろなことがありました.
特に前半のロストバゲージを乗り越えたことにより,私の戦闘力もアップしましたし.

午後からTerna研のミーティング(ゼミ)があるので,トラムで大学まで移動.
降り際に声をかけられ,振り返るとTerna研の院生さん.「僕のこと憶えてるか?」
と言われましたが,忘れるわけはありません.彼は3ヶ月前に私をトリノの街の中で
1時間も待たせた
張本人ですから(笑).ミーティングは月1の予定なのですが,
前回は7月末に行われた私のトークだったので,およそ3ヶ月ぶりの開催です.
久しぶりの再会ということで,バカンスのことや研究の進捗などを話しながら校内へ.
院生さんは普段別のキャンパスにいるので,めったに会うことはありません.
私のキャンパスにいるのは学部生ばかりなので,院生さんとの接点はないんですよね.

ミーティングは前回も話したポスドクと院生さんふたりがトーク.
ポスドクの方は,ほとんど前回の説明と一緒でしたが,モデルが改良されていました.
院生さんのひとりは,競争的環境から協力がどのように出現するかという研究を
アブストラクトな市場モデルで取り組んでいました.モデルを構築している最中らしく,
コードを見せながらトークをするのですが,私には細かすぎてわかりませんでした.
新規性の部分をいまいち見いだせなかったので,もう少し突っ込んで聞けばよかったです.

もうひとりの院生さんは,Terna先生が進めているイタリアの銀行間モデルの話.
銀行間決済には時点ネット決済であるDNS(Deferred Net Settlement)と
即時ネット決済であるRTGS(Real-Time Gross Settlement)があります.
RTGSだと連続的な決済が可能なので,ひとつの銀行が倒れたことによって起こる
システミック・リスクを削減することができると言われています.

かくいう世界各国の銀行間決済ではRTGSが利用されているようで,
日本でも日銀ネット(当座預金・国債・外為決済等)はRTGSを使っています.
ただしあらゆるすべての決済がRTGSになっているわけではなく,
内為決済で使われている全銀システムはDNSのままだったりします.
(全銀システムの大口決済は2011年に日銀ネットに移行予定).

前置きが長くなりましたが,問題はなぜRTGSが支配的な枠組みにならないかというものらしく,
RTGSのデメリットも挙げた上で,両者のハイブリッドシステムである
RRGS(Receipt-Reactive Gross Settlement)を用いたシミュレーションとネットワーク分析を
イタリア銀行間取引の実データを使って行っていました.
内部のミーティングなので,この先の結果等の詳細は控えますが,
やはり実データの収集と扱いが難しいとの話もありました.

院生さんの学生の発表を聞く機会はあまりないのですが,
皆さんレベルが高くてトークも比較的流暢な英語でこなしています.
ただしミーティングにおけるディスカッションは常に低調なので,
これは互いの研究には口出しをしないという個人主義の現れなのかもしれません.

2010年10月11日月曜日

お出迎え

この日は,スイスからミラノを経由してトリノへ戻ってくる母親と
ジェノバからトリノへ戻ってくる叔父をポルタノーヴァ駅でお迎えするはずだったのですが,
母親の手違いでひとつ手前の駅であるポルタスーザ駅までの切符しか買っていないことが
ウィーンで判明.おそらくそのままポルタノーヴァ駅まで行って降りても問題はないのでしょうが,
ふたりの到着時刻も1時間ほど間隔があるので,それぞれ別の駅へ迎えに行くことにしました.

18時50分,予定より3分早くジェノバからの電車がポルタノーヴァ駅に到着し,
ホームにて叔父をお出迎え.ジェノバではぼったくりらしきものに遭ってしまったそうですが,
さほど高額でもなく本人も無事だったのでひと安心.トラムで自宅へ戻り,
自宅に叔父を置いて,今度は母親を迎えにポルタスーザ駅まで徒歩で移動.

実はポルタスーザ駅から電車に乗り降りしたことがなく,しかも地下駅&工事中なので
入れ違いにならないか不安だったのですが,到着の案内板を見て,こちらもホームで
出迎えることができました.母親のほうは天気もすこぶる良く,特に何のトラブルもなく
グリンデルワルトとツェルマットのふたつの街を起点にスイスの山々を楽しめたとのこと.
初日がロストバゲージで大変だっただけに,次は何が起こるか不安でたまりませんでしたが,
終わりよければすべてよしといったところでしょうか.

ふたりはこの日がトリノ最後の夜.ウィーンからずっと移動で疲れていると思ったので,
夜は自宅で私がジェノベーゼのパスタとサラダをつくってふるまいました.
ビールで乾杯し,1週間の出来事やそれぞれの旅を振り返りながら団らん.

イタリアにある自宅で母親にパスタをつくるなんて,数年前には想像もしなかったことです.
イタリアにいることに違和感を持たなくなってきた私ですが,
この状況には何か不思議な感覚をおぼえました.
何はともあれ,私がイタリアへ来ることがなければ旅行することもなかったわけで,
そういう意味では少しは親孝行ができて良かったのかなと思いました.

2010年10月10日日曜日

採録決定

博士前期課程から続けてきた人工市場シミュレーションの研究をまとめた論文が
投稿していた英文雑誌に採択されたと事務局から連絡を受けました.

投稿したのが昨年10月でしたから,丸1年かかっての採択となります.
ですが,論文自体を書き始めたのは投稿よりも半年以上前になりますから,
もっともっと時間がかかっていることになります.そういえば論文合宿もはりましたっけ.

論文合宿は昨年5月に福井で行いましたが,総括には「今月中に投稿する」と書かれています.
実際にはそこから5ヶ月かかっているので,行程が大幅に遅れ気味だったことを反省します.

学術雑誌に投稿することも英語で本格的な論文を書くのも初めての経験だったので,
ある程度の時間がかかるのは必然なのかもしれませんが,日本語に比べて書き上げようという
気持ちを維持し続けるのが難しかったです.単に論文を出版するというだけなら日本語のほうが
圧倒的に早いわけで,おそらく査読結果への対応もすんなりとこなせることでしょう.

ただ,書き上げた自分の論文を多くの研究者に読んでもらうためには英語でなくてはなりません.
イタリアに来て自分の研究を説明したときに,論文はないのか?と聞かれることがままあります.
そんなときに日本語ならあるけど...などと言うと,とたんに食いつきが悪くなったりもします.
業績の積み上げも大切ですが,やはり書いたからには読んでもらわないと意味がありません.

書かなくてはならないというモチベーションだけではなく,海外にいるである多くの読者が
自分の研究論文を読んで刺激され,またフィードバックをくれるというシーンを想像してみると,
執筆のモチベーションも上がるのではないかと,こっちに来てから思った次第です.
至極当たり前の話なのかもしれませんが,そんなことをイタリアに来て再認識させられました.

とはいえ,まだ出版ではなく採録決定なので,英文校正など出版へ向けた作業も残っています.
最後まで気を緩めず,なるべく早く皆さまのもとへ論文を届けられるよう努力したいと思います.

2010年10月9日土曜日

市庁舎+ドナウ川

ウィーン最終日.ホテルに荷物を預けてこの日もお昼まで市内を観光.



19世紀に建てられたネオゴシック様式のウィーンの新市庁舎.
高さ60mの4つの塔と98mの中央塔が目をひきます.



100年以上前に建築されたものに「新」はないだろうというのがわれわれの感覚ですが,
こちらでは1世紀前のものは,まだ新しいものという感覚なんですね.



新市庁舎からヴォティーフ教会を遠くに望む.



新市庁舎の前に建つのがイタリアンルネッサンス様式のブルク劇場.
マリア・テレジアが1741年に建てたものですが,
現在の建物は,戦災に遭い1955年に復興したものらしいです.



ギリシア古典様式の国会議事堂.正面に女神アテナ像の噴水.


ここで叔父はクリムトの画がみたいということで,レオポルト美術館へ.
母親はかつて城壁があったリンクという場所を走っている
市電に乗って一周したいということで,私もそちらに便乗することにしました.



かつては乗り継ぎなしでリンクを一周する市電があったそうですが,
数年前に廃止されたらしく,一周するためには乗り継ぎが必要です.
市電からはウィーンの主だった街の顔を眺めることができます.
行き損なったヨハン・シュトラウス像も市電の窓から眺めることができました.



一周したところでまだ時間があったので,私だけひとりで市電に乗ってドナウ川を観に行くことに.
でもこれが予想以上に時間がかかりました.ドナウ川はリンクから
ちょっとだけ離れているかと思いきや,意外と遠かったのです.
ドナウ川は難なく見ることができたのですが,そこから市街へ戻るのに結構時間がかかりました.



出費を覚悟で初めてDoCoMoの携帯を使って約束の時間より遅れる旨を連絡.
結果,リンクをグルグルと二周もすることになってしまいましたが,
オペラ座で待ち合わせて無事に会うことができました(写真はオペラ座前の通り).

夕方の便で再びウィーンからミラノへ逆戻り.実は明日から各々がバラバラの行動を
とることになっていたので,母親と叔父とはマルペンサ空港でお別れすることに.

母親と叔父は,本日はミラノで宿泊しますが,母親は翌日からスイスへ向かい,
叔父はミラノを観光してからジェノバへと向かうとのこと.私はひとりバスでトリノへ帰宅.
また3日後にふたりがトリノへ戻ってこられるかどうか不安でたまらなかったのですが,
旅の疲れからか翌日になっても目覚めることなく,ひたすら寝続けるのでありました.

2010年10月8日金曜日

シェーンブルン宮殿

この日のメインはハプスブルク家の夏の離宮であるシェーンブルン宮殿.
これぞ宮殿という感じで,外観はバロック様式,内部はロココ様式になっています.
内部がロココ様式になっているのは,女帝マリア・テレジアの影響だとか.
こちらも1400室のうち,公開されているのは40室のみ.そんなに部屋があってどうするの?



こちらの宮殿内も撮影禁止でしたが,もう内部の様子は言うまでもないでしょう.
金の漆喰や,豪奢な彫刻,そして優雅なロココ様式.これでもか!って感じです(謎).




建物の中もいいのですが,見応えがあるのがきれいに整えられた庭園.



宮殿裏庭からのグロリエッテは.物語の世界にしかないと思っていた景色
が眼前に広がっている様は夢ではないかと見まごうばかり.



丘から宮殿を望む.後ろに見えるのはウィーン郊外の町並み.



迷路庭園もありました.簡単に抜けられるかと思ったら,意外と手こずらされました.


ひとりで裏庭を歩いていると,オーストリア人女性2名から日本語で話しかけられました.
聞けばウィーン大学で日本語を専攻している大学生らしく,
課題か何かで日本人にアンケートをとっているとか.
手慣れてなく,必死そうだったので怪しい勧誘ではないと察知し,
私も研究でアンケートをお願いしたりしているので,快く受けることにしました.

アンケートはウィーンに来たことがありますか?とかシュニッツェルを食べましたか?
とかたわいものないものばかりで簡単に終了し,最後に写真を撮られてお別れしました
(きっと課題をこなした証拠の写真なんでしょう).

その後,母親と合流して今晩の演奏の会場を地図で調べるも,いまいち場所がわからない.
さきほどのウィーン大学の学生に聞いてみようということになり,
もうひとり回答者を連れてきたことをダシにして場所を聞くも
彼女たちはウィーンっ子じゃないからわからないという.

母親は撮られた写真を送って欲しいとメールアドレスを教えたり,
勉強のために手紙を書いてみたらと住所を聞いたりして国際交流をしていました.
ちなみに私は一切何も聞いていませんからね(強調!)

というわけで,今晩はここシェーンブルン宮殿で行われているクラシックの
演奏会とディナーがセットになったものを事前にウェブで予約していました.

セットといっても音楽を聴きながらディナーを食べるわけではなく,
宮殿にあるレストランでディナーを食べた後に,別室で音楽を楽しむというものです.



コンソメスープ,上品な薄味.とても美味しかった.



メインの牛肉.味は...まあまあといったところでしょうか.



デザートのイチゴのムース.上に乗っているモーツァルトのチョコがかわいらしい.



ライトアップされたシェーンブルン宮殿.夜は開放されていないので,
ここでディナーを食べた人だけが味わえる特権なのかな?



演奏会はシェーンブルン宮殿で毎日開かれている観光客向けのもので,
さほど期待もしていなかったのですが,演奏の技術はしっかりしていました.
演目は前半がモーツァルト中心で,後半がヨハン・シュトラウス2世中心.
約2時間ほどの演奏なので,いいとこ取りになってしまいますが,
長時間クラシックに耐えたことがない私にとっては丁度よかったかもしれません.
時折音楽に合わせてバレエや歌が入るのですが,これはちょっと余計だったかな.
でも,どちらもかなりの腕前であったことは間違いありません.



最後はウィーンフィルのニューイヤーコンサートと同じく
拍手をしながらのラデツキー行進曲.ウィーンフィルの雰囲気を少しだけ味わうことができました.

シュテファン大聖堂+美術史博物館

朝食にスパークリングワインが出されていたので,思わず飲んでしまい,ほろ酔いスタート.



まずはウィーンのシンボルであるシュテファン大聖堂から.
残念ながら正面は工事中で垂れ幕が下がっていましたが,横からの屋根の模様は見応えあり.




内部はゴシックだけではなくバロックの様式もあってなかなかのもの.



この説教壇は石造りとは思えないほどの精巧さ.

大聖堂には北と南に2つの塔があり,北塔はエレベータ付き,南塔は300段超の階段ということで
私はもちろん南塔を選択.最初からわかってはいましたが,
階段は例によって狭くてひたすらグルグル回るタイプ.
最後のほうは息切れして太ももが痛くなってしまいました.137mはだてじゃないです.



展望台からの眺め.手前に見えるのが聖ペーター教会.ウィーンで2番目に古い教会です.

さて,下りようかと思った矢先,事件が起こりました.お腹の辺りが何だか冷たい...
ん?濡れてる.よくよく見るとバックのところから水がしみ出している.
マズイ,さっき飲んだペットボトルのキャップをきっちりと閉めてなかった.
時すでに遅し,バックの中は軽く水がたまっていて入れていたものがベチャベチャ.

あー電子辞書が!はい,液晶の中に水が入ってしまったようで,使い物にならなくなりました.
ただでさえ縁の薄い関係だったのに,これで私と伊語の接点は完全に絶たれてしまいました.
3万円もしたのに半年も経たず,あろうことか教会でお亡くなりに...合掌.



軽くブルーになりながら,再び王宮方面に向かい,美術史博物館を見学.
ここは,ハプスブルク家が収集した美術工芸品を展示した美術館です.
写真撮影は許可されているので,いくつかの名品をご紹介.



ブリューゲル「雪中の狩人」.世界最大規模のブリューゲルコレクションが所蔵されています.



フェルメール「絵画芸術」.モデルを前に筆を執る画家を描くという珍しい構図になっています.



少しわかりにくいですが,吹き抜けの壁に描かれたクリムトの作品.
他にもルーベンスやラファエロの作品が所狭しと並べられていました.



館内には絵画を模写する人の姿もチラホラ.
写真撮影もそうですが,欧州の美術館は日本に比べて自由な空気が流れています.
それだけ美術館が日常生活の中に溶け込んでいるのでしょうかね.



世界第5位を誇るコインキャビネットもありました.ある意味すべて地域通貨.
貨幣の系統樹を表したパネルもありましたが,それは撮るのを忘れてしまいました.
モッタイナイ!

2010年10月7日木曜日

ホーフブルク宮殿

母親たっての希望で,イタリアではなくオーストリアに行きたいということだったので,
付き添いも兼ねて私も2泊3日でウィーンへ行くことになりました.

トリノからウィーンへの直行便がないため,ミラノ・マルペンサ空港までバスで移動.
そこからウィーンまではオーストリア航空を使って,1時間半のフライトです.
ミラノからウィーンまでの航空運賃は,なんと往復で130ユーロ(事前購入割引).
しかも機内ではサンドウィッチの提供やアルコールを含めた飲み物がタダで飲めます.
サービスも悪くなかったので,旅の選択肢の中にある場合にはお薦めのキャリアです.



ウィーン空港の中は広いのですが,外観は日本の地方空港みたいな感じ.
空港から街へはバスを使って往復11ユーロ.ホテルのあるウィーン西駅まで40分の移動です.

ウィーンカード(市内交通無料パス)とシェーンブルン宮殿の入場券が付いた
ホテルパックをネットで見つけていたので,ホテルでこれらのセットを受け取って
さっそくウィーンの旧市街へ移動開始.ホテルのすぐ近くに地下鉄の駅があったので,
旧市街まで5駅ほど離れていましたが,それほど移動は苦に感じませんでした.
ウィーンの地下鉄もきれいでまったく怖い思いをすることもありませんでしたし.



まず向かったのは王宮前のミヒャエラー広場.目と鼻についたのは,
観光用の馬車と馬の糞の臭い.馬車は趣きがありますが,糞はどうも...
でも,中世ではこれが日常だったんでしょうね.



門をくぐり抜けると右手にあるのがホーフブルク王宮.
650年もの間,ハプスブルク家の居城であった宮殿です.
約2600室あるうち公開されているのはたったの20室だけ.
いかにハプスブルク家の栄華がすごかったか,これだけで理解できます.




館内にも当時使われていた食器のコレクションがずらり.
どれも目を見張るものばかりで,何といっていいのか言葉出てこない状況.
館内では日本語のオーディオガイドを無料で貸し出してくれるので,
展示品の由来や説明を事細かに聞くことができました.

皇帝の住居も見ることができましたが,ここはトリノ同様撮影禁止.
時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は,皇帝でありながらも
かなりストイックな生活を送っていたと知ってビックリ.
朝3時に起きて,5時から執務を開始し,夜も遅くまで仕事に追われていたそうです.
しかもその生活を亡くなるまでまったく変えなかったとか.
ベットも鉄製の凄く簡素なものでしたし,サヴォイア家といいハプスブルク家といい
王様の暮らしに対する庶民的な固定観念がガラリと変えられました.



民族博物館や図書館が入っている新王宮.馬車と自動車でごったがしていました.



モーツァルト像.手前にある音符の花壇がとてもかわいらしかった.



威厳を持ちドーンと構えるのがゲーテ像.一緒に撮ったのですが,
私がちっぽけに見えたのでゲーテ像のみの写真にしておきました.



世界最高の音響設備を誇るとされる国立オペラ座.館内は見学しませんでしたが,
建物の前では中世の服装とカツラを被った客引きたちがしきりに
何やらチケットを売ろうと頑張っていました.



オペラ座の前では路上パフォーマンスの若い楽団が.
さすが音楽の都ウィーン,なかなかいい演奏していました.

夜はホテル内のレストランでウィーン名物シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)をいただきました.
ボリュームがそこそこありながら,あっさりしててしつこくない味.
これにビールを一杯飲むだけで,この日はゆうにお腹がいっぱいになりました.

2010年10月6日水曜日

王宮に潜入

ロストバゲージのせいで大幅に時間を取られた私たちでしたが,
その日は,どうにかトリノの街をめぐることもできました.



今回,私も初めて訪れたのが王宮の内部.外観はいつも見ているのですが,
建物の中に入ったことはこれまで一度もありませんでした.
王宮は1865年までサヴォイア家の宮殿として使用され,
サヴォイア王家の王宮群は,1997年に世界遺産にも登録されています.



2階に歴史的な説明や貴重な品々が展示されていて,
3階からがヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ら王族が生活していた空間になっています.
王宮内部は撮影禁止,しかも3階からは決められた時間に職員が解説しながら
移動するというツアーみたいになっており,最後尾には警備員も付いていました.
(写真は入口の部分で,ここなら写真は撮っていいと男性職員が言っていました)

残念ながら解説はすべてイタリア語だったので,どのような説明がなされていたのかは
まったくわかりませんでした.ただ部屋の様子や説明の単語から,王様の寝室,執務室,
子ども部屋などそれぞれの部屋がどういうものだったのかはだいたい把握できました.

確かに広い部屋や美しい内装だったのですが,生活自体は思っていたよりも質素
だったのだなという印象を持ちました.ヴェルサイユ宮殿のような派手さはありませんが,
トリノに来たらこのツアーに参加する価値は十分にあると思いました.



王宮から南に位置するサン・カルロ広場.別名「トリノの客間」と呼ばれています.
像を挟んで両脇にあるのが向かって左が「サンタ・クリスティーナ教会」で
右が「サン・カルロ教会」.右のほうが歴史が古く,左は後から建てられたものです.
シンメトリーにするのが好きだから後から付け足したなんてMatteoは言ってましたが
確かに形だけは双子のような教会です.ただ,よくよく見ると装飾に違いがあります.



国会議事堂として使われていたカリニャーノ宮殿.今は国立博物館として使われていますが,
現在は改装工事中です.中は通り抜けられましたが,勝手に入って良かったのでしょうか?



母親は生パスタやデザインの良いイタリア製の台所用品などを買っていました.
私もユニークなザルを買ってみました.使わないときは平べったいのですが,



使うときに中央を押すと,凹んでザルになるというすぐれものです.

夜はいつものPorta di Poでお食事に...行く途中に道ばたでMatteoとLauraに遭遇.
彼らに母親を紹介するという何とも気恥ずかしい場面に出くわしましたが,
彼らも母親が来訪するのを知っていたので,ちゃんと紹介できて良かったです.

さすがに外はもう寒いので,リストランテは室内だけの営業になっていました.
メニューも夏メニューから冬メニューに様変わりしていて,初めて見るものもありました.
残念ながら日本人スタッフはもういらっしゃらなかったですが,
オーナー(?)自ら英語でメニューを解説してくれました.
母親も叔父も満足してくれたようで,何よりでした.